特にイケダハヤト氏がこの問題に関しては極左だと思います。「このご時世、大学進学は全く意味がないからやめたほうがいい」という意見です。
イケダハヤト氏の論旨は下記に集約されるのではないかと思います。私が要約しました。
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大学に行く行かないは自由。だけど、何が何でも大学に進学しなければならないという考えは改めたほうが良い。何かやりたいことがあるなら大学に行かないで自分で学ぶという選択肢を選ぶべきだ。大学はコスパが悪いし、進学したからと言って素晴らしい人生が待っているわけでもない。
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ただ、私は「このご時世、大学進学は全く意味がないからやめたほうがいい」とは全く思いません。そのような意見を否定するつもりはもちろんありません。ただ、問題なのは「大学進学は意味がないからやめろ」という意見に短絡的に感化されて後悔してしまう人がいないとも限らないことです。
私は大学に行って得るものがあったか?
私自身、大学に進学しました。理由は特にありません。学びたいことがあったわけでもない。まさにこの議論において弾劾の対象となっている「なんとなく」です。
しかし、得るものが全くなかったかというとそんなことはありません。
・就職活動に全くやる気がなかったにも関わらず大学卒というステータスによって新卒入社できた。給与も高卒よりは高かった。その会社は数年で辞めてしまったが、貯金をすることができたし、それなりにきちんとした会社ではあったので基本的な仕事の仕方について得るものはあった。
・友人が極めて少ない私だが、大学の時に出会った友人だけは今でも付き合いがある。しかも、サラリーマン、議員、フリーランスと様々なタイプの人なので、結果的にいろいろな価値観に接することができている。
・経済学部であったが、今になって自分でフリーランスとしていろいろと学ぶ中で「あの講義はこのことを言っていたのか」と思い出すことがある。知識の底上げになっているように思う。
・大学時代は時間が有り余っていたのでコツコツとブログの更新をしたり、ウェブサイトを自力で構築したりしていた。それが約10年後、今のフリーランスとしての仕事に繋がっている。大学で学んだことではないけれど、大学時代というモラトリアム期間で得たものではある。
確かに大学に行かなくても得られるけれど
上述した「私が大学に行って得たもの」は、確かに大学に行かなくても得られたものではあります。イケダ氏は冒頭に挙げたブログ内で下記のように言っています。
・大学に行かなくても大抵のことは学べる。
・大学に行かなくても食べていける。
・大学に行かなくても人とのつながりはできる。
・大学はそもそもコスパが悪すぎる。
これらは事実でしょう。
「人との繋がりを作るために大学へ行く」というのは確かに本末転倒であり、私もそのモラトリアム期間で個人ブログをやっていたことが約10年後にフリーランスになる契機になったと書きましたが、それも大学へ行く理由にはならないことはわかります。学費を捻出してくれている親からすれば「勉強しろよ」としか思われないでしょう。
だけど、と私は思うのです。
誰もに明確な目標があるわけではないし、強烈なバイタリティがあるわけでもない
「大学は意味がない」に該当するのは「人生における確固たる目標や自分の力でお金を稼ぐバイタリティのある人」だと思うのです。つまりは、誰もに該当する事象ではないということです。
私の例で言えば、明確な目標なく進学してモラトリアム期間を何となく過ごし、晴れて新卒入社し、転職を繰り返して、今フリーランスとして働いています。
尋常でないモチベーションがあったり、頭がとても良かったりする人であれば、大学へ進学せずにいきなりフリーランスとして生計を立てることができたり、実力を示してやりたい仕事に従事したりすることができるのでしょう。
だけど、凡人たる私にとってはそこに辿り着くまでに高校を卒業してから大学在学期間も含めて15年間もかかった。新卒入社した会社で貯めた貯金があったからこそ、自分のやりたい事を考える時間的・資金的な余裕があった。
このような人生があってもいいと思うのです。というか、殆どの人がこうやってふらふらと寄り道をしながら目標を見つけていくのではないでしょうか。
もちろん、イケダ氏もこういった人生を否定しているわけではないでしょう。
では「大学は意味がない」の真意は何か?
上記から「大学は意味がない」の真意を考えてみたいと思います。
1. 金銭的な理由で大学に進学できないからと言って失望する必要はない
一番はこれでしょう。「大学に行けない、人生オワタ」という時代はとうに終わりだということです。中卒や高卒であるが故に安月給の仕事やフリーターで日銭を稼ぐことの繰り返しで人生が終わるという時代はとうに終わった。
大学に行けないなら行けないなりに自分で勉強して戦略を立案することによって、アイデアとやる気次第で充分に生きていけるということ。そして、そこから得られるリターンは大卒でぬくぬくと就職した人たちよりも大きくできる可能性が充分にあります。
従って、借金を抱えてまで無理矢理Fラン大学に進学することは合理的でない、と言うことです。
2. 自分の中に明確な目標があるなら大学に行くは必要ない
イケダ氏のブログの中でも言及されていますが、例えば医者になりたいのでどうしても大学で学ばなければならないという人もいて、この場合は進学が正解でしょう。だけど、必ずしも大学に進学することが必要のない分野で何かやりたいことがあるなら、その在学期間は無駄になり得るということです。
これはリスクの取り方の問題であると私は考えています。「やりたい事があるなら大学は無駄。親の言うことも聞くな。やりたい事に全力投球しろ」という極論もあれば「視野を広げるため、やりたい事が頓挫してしまった時のリスクマネジメントのために進学しておきたい」という人もいるでしょう。
どれが正解ということはなく、個人の考え方の問題であると思います。
3. 就職はオワコン、学歴が無意味になる時代が来る
日本においてもフリーランス人口は年々増え続けています。これからは個人が自分のフィールドで能力を発揮し、企業に依存することなく生活していけることになるでしょう。
そんな未来においては学歴なんて全く意味がない。大企業に就職したから一生安泰という価値観は既に崩壊した。だから、未来を見据えるならば大学に行くことは意味がない。大学に行って時間を無駄にするくらいなら自分で自分の中に自信と実力を身につけたほうが良いということでしょう。
これについても個人のリスクのとり方であると思いますが、フリーランス人口は確実に増え続けるというのは確実だと思います。
やりたい事がなくても大学へ行くメリット
私は「大学は意味がない」とは思いません。確かに一理はあるなとは思いますが、意味がないから大学に行くなとは思わない。
そして何より、「大学進学は意味がないからやめろ」という意見に短絡的に感化されて実行に移し、後悔してしまうことの方が恐ろしいことであると考えています。自分の頭で「大学に行く/行かない」を決定すべきであると思います。加えて「迷っているなら進学したほうがいい」と思います。
終わりに、私の思うやりたい事がなくても大学に行くメリットを簡単に紹介して本稿を締めくくりたいと思います。
1. 就職のためのリスクマネジメントとして
誰もが自信に満ちているわけではありません。人生の早いうちから個人で目標を立てて邁進する人もいれば、目標を見つけるまでに時間がかかる人もいるでしょう。
また、自信たっぷりで目の前の目標に取り組める人もいるし、どうしても不安を抱えがちな人もいる。
私はどちらも後者です。現在、まだまだ学歴が無意味な時代にはなっていないので、後者のような人にとってはリスクマネジメントとして大学に進学しておくことも有用ではないかと思います。
私は今、学歴とは全く関係のない仕事をしていますが、進学したことが時間の無駄だったとは全く思っていません。人生をやり直すことができたとしても再び大学に行くでしょう。
2. モラトリアム期間として
私は親のお金で大学進学をしたので「モラトリアムとは何だ」「誰もがそんなに恵まれているわけではない」という批判もあるでしょうけれど、あの時間だけはたっぷりとあった一見無駄にも思える時間が自分にとってとても有用であったと思っています。
先述の通り、在学中に趣味で取り組んでいたことが今の本業になっていますし、今でも付き合いがあるのは大学時代の友人だけです。
これらは必ずしも大学に行かなければならない理由にはならないでしょうけれど、個人的には人生においてプラスに働いています。
3. 基礎的な教養の場として
自分一人だけで勉強する場合は興味のある分野だけに取り組んでしまいがちで、どうしても知識が偏ってしまうように思います。とすると、基礎的な教養の場として大学も無意味ではあるまいと思っています。
大学の講義は受動的なので意味がないという意見もあるでしょうが、受動的だからこそ得られるものもあるのではないでしょうか。
例えば、中学理科までの知識があれば「窓になぜ結露ができるのか」ということは頭の中に知識として蓄積されており、だからこそすぐに適切な対策を講じることができます。もちろん、そんなことは調べればすぐにわかることですが、調べなくてもわかることが頭の中に既に蓄積されていることは大きな強みであると思います。
知識の偏りや視野を狭めることは危険なことであると思います。幅広い知識を「受動的に」得られる大学教育は決して意味のないことではないと私は考えています。